レトロなニットの話・その8終

ウィキペディアによると、1988年に横浜の手作りニット友の会の人達が2月10日をニットの日といい始めたということですが、onore1114の1114は誕生日で、イイ人よと読み、1988年の少し前に結婚した私たちは11月22日をいい夫婦の日だからと結婚記念日に選んだりしました。横浜には、こういう語呂合わせが好きなニッターがいらっしゃるとは・・・。


2007年の8月に父が亡くなったあと、母が結婚前の私の編み掛けのツィードカーディガンの後ろ身頃と糸の残りなどなどを実家からまとめて発掘してきた。防虫剤でしっかり保管されているのをみたとき、なんだか、本当に発掘された化石のようにみえた。確かに『ブリティッシュニット』(主婦の友社、1982年)という本からツィードのVネックカーデをダブル縄編みで編もうとして、アイリッシュツイードを例のごとく10玉のバーゲンゲットしたものの、思いのほか量のいる編み方のため後ろ身頃ですぐに不足に気づいた。そのまま冬眠どころか化石状態になっていたものと思われます。色もオリーブで苔がはえたみたい。でも今となっては入手不能のウールマークつきのアイリッシュツィード、しかもアイルランドのKiltimaghなんてダブリンのさらに周辺にある町のIrish Spinners Limitedという会社だからチョーレアもの。

父の死後はあらゆることにやる気がなくなった時期があり、この編みかけを見るたびにこれを始末しないことには次の大物には取り掛かれまい、そのための糸も買うまいと心に決意。2年ほどいろいろ逡巡があって、昨秋についにクッションと決意しました。ところが注文したフリースの色がやっぱり安っぽくて・・・そこからの展開が我ながらアナロジーを駆使して冷蔵庫の残り物から新たなレシピを開発したときのようなもので・・・方形にできる、半分にできる、いつもいろんなお店でこれなら編めるかもと触っていたニットバッグになる、取っ手は買い置きがある・・・ということで、一気にニットバッグに大変身。まず後ろ身頃の肩線をほどいて裾線と平行にし、脇をたたんで長方形。一応スチームがけをしたけど、本当は洗ってみてもよかった・・・。ここから短辺二編にメリヤスを減目しながら編み足して取っ手をつけるところを作成。この編み方はpatonsのフリーパターンのお世話になりました。取っ手づけは一番強度を要求されるので慎重にギャザーを寄せながら仕上げ。でもちょっと寂しいなあ、と思っていたら、今シーズンで本当に泣く泣く処分した夏物のヨーガンレールのスカートのバックルを思い出に、と取り置きしたのが目に入り、合体して完成。

いろいろ評価を集めたところ、母はそのままでもかっちり編んであるから伸びないといい、義母は毛糸は出し入れのときにひっかかるから裏布をつけたほうがいいという。なんだか汚すのがもったいなくてなかなか連れ出せなくなっているけれど、取っ手が少し長めなので、横からものを入れやすく、ついフリーペーパーとかどんどん入れがちに・・・。

やっと、過去を吹っ切れたバッグ、今シーズンの、否、私のニットライフのエポックメーキングとなる作品となりました。その後は憑き物がとれたか、とりついたか、駄作の連続です。(20100210)

2020年1月末ではてなグループが閉鎖となるので、アーカイブとしてこちらのブログに
引っ越しました。母は昨年1月に亡くなりました。いま思うと、母の腕まわりも計測もせずにリメイクなどと大それたことをしたものです。エッジをつけた引き揃えの糸をアクセントにしてかぎ針のソックスをプレゼントしたこともありましたが、それもツインも断捨離のなかで消えていました.でも、私や弟の小学校の作文や成績表はタンスの奥にきちんと保管されていました。合掌。

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